デマ・流言・噂・口コミ・フェイクニュース
デマ・流言とは
事実であるか否かに関わらず、人から人に伝達されていく情報のことを、噂と言います。評判に関しては口コミと言われます。災害時などに発生するものは、デマ(デマゴギーの略)や流言(流言飛語の略)と言われます。最近では、いたずらや悪意のあるもの、意図して製作されたものをフェイクニュースと呼びます。
昔は、口頭で広まることが多かったため、伝達途中で情報が欠落したり、歪められたり、誇張されたり内容が変化していくことが多く、時間的経過と内容の変化といった研究がされていましたが、最近は、リツイートという形で、オリジナルの情報が変化しないまま拡散していくという形になっています。人に遭って話したりせずに、不特定多数に向けてコピペで内容を流せるので、昔以上に伝達速度は速く、広範囲に渡るようになっています。
デマ・流言の発生
デマ・流言は、天災や人災などが発生したときに急速に広まります。地震や通り魔といったものです。2020年現在は、新型コロナウイルスに関するデマ・流言が発生しています。状況が収束していないとき、状況が断続的に反復しているとき、それについての情報が不足しているとき、一方で、真偽不明の情報が過剰なときに発生します。
デマ・流言の内容
次の3点が中心です。
- 命に関わるような重要なことや、人々の関心を集める内容である
- 個人では確認のしようのない曖昧な内容である
- 不安を煽る内容か、不安を安心させる内容かのどちらかである
デマ・流言の心理
主に、次のような心の動き、現実的な動きが多いようです。
- ストレスへの脆弱性が高い(ストレスに弱い)人、不安の強い人から順に反応します
- 後悔したくない、やれることはやっておきたいという気持ちが現実検討能力を上回ります
- 普段、社会的に十分な役割や責任を持たない人が善意を持って人の役に立とうとします
- 時間があるので情報をかき集める、または情報が入ってきてしまいます
- 不安な状態や自分の行動を正当化したいので、自分側の意見を補強する情報ばかり集めます
加えて、情報を伝えてきた相手からの圧力も感じます。広めずに自分で止めておくと、隠しているような気になったり、言われたことを実行しないと教えてくれた相手に申し訳ない気がするので次の人に伝えてしまいます。代表的なのが、不幸の手紙・チェーンメールです。「この内容を3人に伝えなければあなたに不幸が訪れます」といったものです。巧妙なものは、「この内容を3人に伝えなければ、あなたにこの内容を伝えてきた人に不幸が訪れます」という書き方がされることもあります。情報を止めてしまうと、その人が加害者になるような言い方がされています。人は、被害者になることには耐えられても、加害者になることのほうが耐えられないといった気持ちになることがあります。ある意味、動物にはない人間らしい心理と言えます。2020年の新型コロナウイルスのデマ・流言も、この加害者になりたくないといった側面が強く見られます。
デマ・流言に含まれる善意と悪意
途中参加の人に悪意はありません。むしろ善意であることがほとんどですが、その善意が非常に厄介なものです。無邪気さが無神経さにつながるのと似ていて、無邪気な善意が無神経に混乱を引き起こしているということにあまりにも無自覚です。
オリジナルの情報を発信した人には悪意があることがあります。人が苦しんだり、慌てふためくことを見るのが好きな愉快犯です。善意の人達が自分の情報を信じ、拡散している愚かな様をほくそ笑んでいます。そこまではいかない、ただの悪ふざけの場合もあります。まさか、こんなの誰も信じるとは思わなかったと逮捕されてから言います。確かに、通常時なら誰も信じないようなことですが、非常事態下では広まりやすくなっているので、言動には注意しなくてはなりません。
ないことの証明・悪魔の証明
無責任な嘘に対抗できるのは責任ある真実です。しかし、この真実の確認作業ということが、非常に手間のかかることなんです。幽霊を見た、UFOを見た、死後の世界はある、S○AP細胞はあります、なぜ無いと言い切れるんですか?───これらはすべて、ないことの証明や悪魔の証明と言われ、証明が不可能なこととされています。ある人が幽霊を見たとき、それはその人にとっては真実です。しかし、ほとんどの人にとっては、それは嘘であると扱われます。その場合、嘘であることの証明がほぼ不可能です。幽霊がいないということを証明するには、この先ずっと、あるいはしばらくの間ずっと幽霊がいないことを確認し続けねばならないし、人間全員の同意を得なくてはなりません。もし、幽霊が1人(?)、1体でもいれば、それは幽霊がいるということになってしまうからです。実際には、ないことを証明するのは現実的には不可能なレベルということです。だから、発言に責任ある立場の人は、確実に否定できる証拠が見つかるまでは、「現在、確認中です」という言い方になるのです。認めることもできず、安易に否定することもできないからです。無責任な嘘vs責任ある真実の戦いは、圧倒的に無責任な嘘の方が強く、速いので、デマ・流言がなかなか止められないということになります。決して、真実だから広まるのが速いわけではありません。
流言は知者に止まる(とどまる)
知者は智者と書かれたりもします。根も葉もない噂に、賢明な人は振り回されないということです。数日前に、「新型コロナウイルスは、27度のお湯を飲むと死滅できる、あるいは感染予防になる」といったデマ・流言が流れました。どんだけぬるま湯?!体温以下ですよ。これを信じて実行してしまった人やこれを人に伝えてしまった人は、今後、見聞きした情報を人に伝えてはいけません。自分には情報を選別する能力はないということを自覚しましょう。ネットでは、侮蔑的に「情弱(情報弱者)」と言われます。単純に重要な情報を知らないだけでなく、誤った情報に振り回される人のことも含みます。そういった人は、検索に慣れていません。例えば、「ウイルス 危険性」と検索して、出てきた情報量の多さに圧倒され、ウイルスの怖さを信じ込んでしまいます。しかし、賢明な方は、その一方で「ウイルス 安全性」や「ウイルス デマ」といったキーワードでも調べます。自分の検索キーワードの偏りによって、見聞きする情報が偏ることを知っているからです。
致死率0.01%の体感 – 確率の誤認知
デマ・流言には確率の誤認知という問題も含まれています。例えば致死率0.01%という確率は、罹患してから1万人に1人亡くなるという確率です。健全な1万人の内1人が亡くなるということではありません。罹患していない方は、自分が死ぬ確率を考える場合、罹患率も掛け合わせて致死率を捉えなくてはなりません。そういうことについて無知だと、1万人に1人死ぬという風に意識されてしまいます。
また、例えば良いことについて、1万人の中から自分が選ばれる確率だとしたら、当たるかもと思う人はどれくらいいるのでしょうか。そう思える人は楽観的に生きていける人だと思います。では、罹患したら1万人に1人亡くなると聞いたら、もしかしたら自分がその1人になってしまうかもと不安になる人はどのくらいいるでしょう。良いことが当たると感じる人数よりも多くなるのではないかと思います。人は悲観的な確率のほうを高く体感するのです。不安の強い人によっては、100人に1人が死ぬのと同じくらいの体感になり、他人事とは思えなくなってくると思います。カウンセリングでは、不安が強く悲観的な方の話を聴く際、だいたい確率を1桁多めに見積もって話を聴くとその心情を理解できることが多いです。
自分が対策をするのは自由です。しかし、他人にも同じ対策を望むことは必ずしも賢明な行動とは言えません。自分にできる範囲のことをしていきましょう。カウンセリングで、現実検討能力を養い、不安に飲み込まれすぎずに生きていく術を身につけられるといいですね。