子育ての悩み・子供の相談(1)発達と勉強

子供を健全に育てるってどういうこと?の疑問にお答えします。心より勉強が大事と思っている方は読まない方がいいです。自分の子育てを否定されている気になり、きっと腹が立つと思うので。

子育ては親の理想を捨てるところから

子供が生まれる前から、子供はこう育てたいと思っていませんでしたか?期待をかけることは一概に悪いこととは言えませんが、子供の特徴を把握する前から、親の理想を押しつけるのはいかがなものかと思います。生まれてから、その子に見合った子育てを考えていくのが健全に育てる方法です。すでに自分の理想を押し付けてしまっているなら、子育てを見直していきましょう。

「子育てに正解はない」という言葉に甘えて、自分の子育てについてはあまり振り返らない一方、子供にはこうなってほしいという正解を持っているのはおかしな話です。子育てには、ある程度の正解はあると知っているからこそ、お母さんたちは、子供が乳幼児期の頃は一生懸命、子育て・子供の発達について調べるのでしょう。なのに、子供が小学生くらいになると、途端にお母さんたちは子供の発達段階について学ばなくなります。言葉が通じるようになって、身の回りのことが少しできるようになって安心するからでしょう。注意したり怒ったりばかりしてしまいがちです。子供の心は育てないと、育ちません。改めて、子供の心の発達について学んでいきましょう。

子供の心の発達段階

基本的信頼感 対 不信

乳児期(0歳~1歳)は、赤ちゃんが泣いている理由を親が探って、赤ちゃんの欲求を満たしてあげる時期です。欲求が満たされると、赤ちゃんは世界に対する基本的信頼感を得られるようになります。この時期は大いに甘やかしてあげましょう。厳しさなどいりません。泣いていることを放っておくと、赤ちゃんは泣いても何も変わらないということを覚え、世の中への期待や安心感がなくなり、この先、自分が何かしていこうという気持ちがなくなってしまいます。

親としても0歳、生まれたてです。これまでは、他人にもいろいろと協力して叶えてもらったりしていたことが、赤ちゃんには全く通用しなくなります。親の気持ちなんて汲んでもらえません。親の心子知らずです。完全に親が子供の欲求を一方的に叶えてあげる側になります。この時期に子育てというのはそういうことなんだと覚悟が決まれば、この先、子供が何歳になっても、子供にイライラしたり文句を言うことなく、親自身がやり方を変えながら子育てをしていくことができます。子育てのポイントは、子供への甘い期待を捨てることです。覚悟がないまま産んでしまった方や、産んだ後も覚悟ができない方は虐待につながる可能性があるので、早めにカウンセリングにお越しください。

産後、授乳期間中は、母親のストレスがピークになります。体調が回復していないうえ、夫に交代してもらうこともなかなかできず、睡眠不足が続きます。だからといって、イライラするのはしょうがない、構わないわけではありません。疲労とイライラは別物です。自分の感情の取り扱い方に自信がなければ、カウンセリングを利用しながらこの時期を乗り越えましょう。

この時期、赤ちゃんは学習などほとんどしていけません。危ないものを口に入れたときに、「ダメ!」と厳しく怒っても、何に怒られているのかわからず、ただただ赤ちゃんにとっては怖いだけです。「あっ!」と大きな声を出すのも、赤ちゃんにとってはビックリするだけです。怒らず済むように、赤ちゃんが口に入れてはまずいものは手の届かないところに置いておきましょう。

自律性 対 恥・疑惑

幼児前期 – 保育園(1歳~3歳)は、自分の近くの物にいろいろと働きかけるようになります。明確な目的はなく、触れるなら触る、動かせるなら動かす、行ってみたければ行くという感じです。極力、危険がなければ止めずに叶えさせてあげることが望ましいです。汚れるという理由だけで触らせないという子育てをすると、この先子供はいろんなことにチャレンジしてみようとは思わなくなります。自由にさせてあげると、こぼしたり倒したり、失敗も多くなりますが、その時に親が「何やってるのー!」と非難めいたことを口にすると、子供はいけないことをしたと委縮してしまいます。この時期は、結果よりもやってみたかった気持ちに重点をおいて、失敗に対して寛容に接するのが大切です。液体はこぼされるもの、粉物は撒き散らされるもの、ティッシュは全部出されるものと覚悟しておきましょう。

親の態度としては、子供に言葉が通じるようになり、親自身がやり方を模索するより、子供に口で言ってやらせることが増えてきます。子供に怒ってやらせるのではなく、親が考え工夫するということを忘れずにいましょう。逆にいつまでも子供にはできないからと、親がやってしまうのも、子供は恥を感じるものです。 まだこの時期は、子供自身が工夫して問題を解決していく力はありません。ヒントを出してあげたり、手を添えてあげたりしつつも、子供自身がやれたと実感できる形にしてあげましょう。

保育園で他児の様子を知り、自分の子供との発達の差が気になる時期でもあります。例えば、靴下をはくことができる子とできない子がいます。おもちゃを友達に貸してあげられる子と貸してあげられない子もいます。大事なことは、それができなくても構わないと割り切るでもなく、急いでその課題をできるようにすることでもなく、これから少しずつそれができるように関わっていくことです。長期的な視野を持って子育てをしていきましょう。

積極性 対 罪悪感

幼児後期 – 幼稚園(3~6歳)は、特に自分でやりたがる時期に入ります。しかし、1人ではできないことが多いので、手伝わなくてはならない親にとっては面倒くさい時期です。また、行動の基準に良いか悪いかという二択が生まれます。「これはやってもいい?」、「それ、いけないって幼稚園の先生が言ってたよ」といった正義感が現れ、テレビのヒーロー物に興味を示したりします。

この時期、親はいよいよ、自分が考えて工夫するということを忘れます。ただ指示・命令をして、子供を動かし始めます。子供が自分の邪魔をしてくるような気にもなります。それが伝わると子供は罪悪感を抱き、余計なことをしないように、チャレンジしないおとなしい子供になります。親は一日のスケジュールを無事にこなすことで忙しくなりますが、子供の気持ちを忘れずに、子供が動きやすいように、親に何ができるか、考え、工夫しましょう。

ちなみに、良いか悪いかという二択で考える大人は、この段階の考え方にとどまっているということです。「結局、どっちの方法が良いんですか?」と人に聞くのは、幼稚園児のような態度です。良いか悪いかを人に委ねるのではなく、どういう結果につながるか考え、自分で選んでいくことが大切です。考えた結果、失敗してしまったら、認めてやり直していけばいいという姿勢を身につけましょう。それが、子供のモデルにもなっていきます。

勤勉性 対 劣等感

学童期 – 小学校(6歳~12歳)は、学校で勉強することが始まります。入学してすぐは、小1プロブレムといって、幼稚園と小学校のギャップに驚いて、不登校になりやすい時期です。小学3、4年生の時期には、9歳の壁、10歳の壁という言葉があり、その時期に能力差が開きやすいと言われています。小学校に通うということは、子供にとって当たり前のことではなく、なかなか大変なことです。日々、労ってあげましょう。

この頃になると、親の考え方や態度にはっきりとした違いがみられるようになり、比較的自分と似たママ友探しが始まります。似た考え方の母親が集まるので、自分の言動を反省することが難しくなります。

また、子供を引き受けるといった態度を身につけられなかった親は、子供に嫌なことしか言わなくなります。「誰のためにやってあげてると思ってるの?!」などといい始めます。案外多くの子供が、(親の見栄のためじゃん)と気がついていたりします。

そして、心の発達より、わかりやすく結果が出てしまう勉強のことばかりが気になり始めてしまいます。そうなったらもうカウンセリングにお越しください。子供の心を親がつぶしてしまいます。特に、他の子と比較すると劣等感は致命的に一生残ります。何歳になろうが子供を変えるのではなく、親自身が変わっていきましょう。子供の世話や家事で忙しくしているので、育て方には問題がない、他の親と同じだと思ってしまいますが、子供を苦しめていることに気がついていないだけです。この時期なら、まだ子供の心の育て直しに間に合います。

アイデンティティの確立 対 同一性拡散(役割がわからない)

青年期 – 中学校・高校(12歳~22歳)は、集団の中、他の人といる中で、自分の立ち位置・ポジション、自分らしさがわかってくる、あるいは、模索する時期です。特技を持つと、アイデンティティは確立しやすいです。アイデンティティは、自分で納得していることと他人にも認められているという2つが揃うと完成です。〇〇キャラ、というのが定着し、自分でも悪くないと思えれば問題ありません。部活や習い事がアイデンティティに結び付きやすいです。

一方、自分らしいアイデンティティが見つからないときには、芸能人やアーティストの強烈なアイデンティティに引っ張られ、追っかけたり真似をし過ぎてしまう場合があります。RA〇WIMPSの野〇洋次郎に憧れ、容姿そっくりの男の子がいますが、アイデンティティが全く無い空っぽの子という状態です。普及や布教といって他人の活動を広めることが使命になってしまうと、個人のアイデンティティは育ちません。他人のアイデンティティをそっくりそのまま自分に着せてしまうのはやめましょう。

この時期になると、親はもはや直接子育てということはできなくなります。避けられたりもして、手が出せなくなってしまいます。しかし、間接的に影響を与えることはできます。親自身が、子供には関係のない、何か打ち込めることに取り組みましょう。1人でやるなら手芸のようなもの、集団に参加するなら合唱などが比較的はじめやすいもののようです。家事をする以外、テレビドラマばかり見ていると、子供もYouTubeばかり見るようになってしまいます。

子供にアイデンティティがない場合、親も同様の傾向を持っている場合がありますが、必ずしも父母両方ともがそうとは限りません。割と多いのが、父親はストイックに体を鍛えたり、スポーツに打ち込む一方、母親がそういう夫の割を食う、あるいはそういう夫を支えるだけという形です。マネージャーというポジションは大切ではありますが、マネージメントに関してかなり積極的に考えていかない限り、アイデンティティ形成にはなかなか結びつきません。どんなに頑張っても夫には家政婦のように扱われてしまいがちです。そういった理由からも、よほど理由がない限り、子供が部活を選ぶ際には、マネージャーより選手を選んでおいたほうがよいかと思います。

勉強で歪む人格

過激な見出しですが、特別なことを言っているわけではありません。例えば、空手などの武道を習わせるときだって、ただ技術を教えるわけではないですよね。きちんと、礼儀を教えたり、暴力につながらないように、指導者は子供の精神的発達にも配慮しながら教えていくはずです。力を持つと、人は人格的に歪みやすいからです。それと同じように、勉強して知識という武器を身につけさせるときには、その使い方まで教えてあげて欲しいのです。知識がない人をバカにするような子供にならないように関わっていきましょう。

人は、初めての出来事に対しては心が動きます。しかし、2回目になると、もうそれはすでに知っていることなので感動しません。知識を得て感動が失われる、それが体験を経て引き換えになるのは自然なことです。しかし、体験ではなく勉強してしまうことによって感動が失われてしまうのは、果たして子供の成長にとって望ましいことといえるのでしょうか。

一輪のチューリップを見た時、その花の名前を知らない子供は「わぁ!きれい!」と言うかもしれません。一方、その花の名前を図鑑で知っていた子供は「これ知ってる、チューリップ」と言うかもしれません。それを聞いたら「すごい、よく知ってるねー!」と褒める大人は多いと思います。知識を身につけていくことはもちろん悪いことではありませんが、ただ、あまりにフライングして体験するより先に勉強をしてしまうと、感動する心が育たなくなってしまうという可能性があります。知識を褒められ、知っていることが何より大切だと思って育つと、「そんなことも知らないの?」と友達に言うような感じの悪い子供になってしまうかもしれませんよ。

なんとなくそういうリスクに気がついている親は、家で動物の名前を教える前に、動物園に実際に連れて行ったりします。そういう話を聞くと、子育てのセンスいいな、と思います。子供が動物園で初めての動物を見て、目をキラキラくるくるさせる様子も見れるので、お母さんとしても幸せな時間を過ごせると思います。

一方、保育園で他の子の成長に遅れを取るまいと、家で一生懸命動物図鑑を見させるお母さんもいます。あるいは、幼稚園で「頭いいねー」と言われる我が子を見たいがゆえに、動物の知識を詰め込もうとしてしまうお母さんもいます。感動する心を育てたいならば、知識を詰め込むのをやめて、体験を優先させましょう。

中学受験による子供のバーンアウト(燃え尽き症候群)

昔は勉強ができれば「がり勉」というアイデンティティが得られましたが、近年は、そのがり勉達が私立受験によって集まるため、がり勉の中のがり勉、真のがり勉というアイデンティティが生まれる一方、がり勉というアイデンティティを喪失してしまう子供もいます。入学後、クラスの成績上位者に入れない子が必ず生まれるからです。そこで新たなアイデンティティを見つけられればよいのですが、勉強しかやってこなかった子は他に何も見つけられず、非行に走るか、ひきこもりになってしまったりします。

私立受験させる場合は、入った後にクラスの成績下位者になった場合のことまで本人と話し合っておくことが大切です。無理して中学受験をしても、自負していた学力が通用しないことがあります。そういうことに耐えられるメンタルができあがっていればチャレンジさせてもかまいませんが、多くの子は、勉強優先でそんなメンタルができあがっていません。不合格になったり、第一志望の学校に入れなかった場合には、心が折れてしまいます。無事に入学できても、上記のようにアイデンティティの喪失が待っていたりします。中学受験は、学力よりも、その子のメンタル次第です。子供の心の成長をしっかりと捉え、学力に見合った受験なのか考えて欲しいと思います。